Omoitsuki Box 思いつきボックスの蛇足
だそく【蛇足】〔昔、中国でヘビを描(カ)くのに足まで描いて失敗したことから〕
十分完成しているものの あとに付け加えるよけいなもの。
・片目で写真を見ると立体的に見える。
たぶんすでに知られていることだと思うけど、おれは全然知らなかった。
だから、ある写真展でたまたま片目をつむってみてこのことに気づいたときは大発見をした気になって大喜びしてしまった。
あんまり面白かったからなんでそう見えるのかあれこれ考えてみちゃったよ。
もともと裸眼立体視とかにはとても興味があったんだ。あの、立体視したとたんに色が透明感を持ってくるところなんかがすごく好きだ。
なんというか人間には立体に見たい欲みたいなものがあるのかもしれないね。
立体裸眼視の原理はご存知の通り両目の視差を利用したものだよね。つまり実際の立体を見ているときの目の働きを再現して
立体を半ば強制的に認識させるってわけだ。
ところで人間が立体を感じるのはこの視差をもとにして認識するのとは別に経験によって感じている部分もあるとおれは思うんだ。
うん、いいところに気づいたね、おれ。これがポイントだよ。写真を片目で見るとこの経験で感じる部分が働いて立体的に見えるわけだよ。
たぶんね。
話がちょっと変わるけど、写真が日本に入ってきて普及し始めたのってたぶん明治のころだよね。
その当時の白黒写真を見ていると面白いことに立体写真も
結構あるのに気づく。立体写真なんてつい最近流行ったものなのに日本に写真そのものが入ってきたのとほとんど同時にすでにあったって
いうのは意外に思ったんだ。そういえば当時の人たちは写真に撮られると魂を抜き取られるって信じてたと言う話はよく聞くよね。
それと絡めておれちょっとその当時の人の気分を想像してみたんだよ。
写真を見る以前の日本人は見るものすべては立体だったわけだ。景色にしても目の前の人間にしても身の回りにあるものは全て立体だから
ね。もちろんその当時にも絵はあったはずだよ。絵は平面なんだけど、実際に見える景色と景色を描いた絵は明らかに
違うのは分かっていたはずだよね。
だから写真を始めてみた人はこう思ったんじゃないかな。
「これはそこにある景色と寸分違わないものが紙に写っている。でも
なんか違うぞ。全然違うところはないんだけどなんか変だ。なんだこれは!?」
ってね。変に見えたのはそれが平面に見えたからだ。
たとえば母親が息子の写った写真を見たら
「これは確かにうちの息子にそっくりだけど、なんだか変だ。まるで生き写し
だけどうちの息子とはなにか違う。これはまるで魂を抜かれてしまったみたいだ!」
って思ったかもしれない。
リアルなんだけど平面に見えるというのはその当時の人にはとても妙な事だったと思うんだ。
だから立体写真を見ると逆に普通に見えて安心したんじゃないだろうか。写真と同時に立体写真も普及したのはそのあたりに理由が
あるのでは、というのがおれの勝手な想像なんだよ。
逆に今のおれらは生まれたころから写真はごく普通にみているからそれが平面だということさえも意識していない。
でも最初にも書いたけど人間には常に「立体に見たい欲」があるとやっぱり思うんだ。
だって日常見るものはほとんど全て立体だからね。立体的な空間で生活しているわけだから
立体的にものを見るのが自然なことなんだよ。つまり平面的にものを見るということの方が異常なんだな。
だからひょっとすると裸眼立体視やなんかで写真が立体に見えるとそのことがうれしいんじゃなくって
平面的に見ないでもいいんだって安心するのかもしれないね。
えっと、なんの話だっけ?そうそう。
裸眼立体視は両目の視差を利用して立体を感じさせる方法だけど、同じ原理で両目で写真を見るとどうしても平面的に見えて
しまう。目から写真の紙の上までの距離を測れてしまうから図像が同一平面上にあるというのを認識してしまうからね。
つまり人間の目のしくみのおかげで写真は立体的には見えないってわけだ。
そこで片目をつむって視差の原理を働かせないようにして見るんだ。
そうすると図像までの距離が目のしくみでは測れなくなるから自分の経験に照らし合わせて見えている図像をとらえようとする。
写真は基本的に実際に見えている光景とほとんど同じ現象を再現しているから、
普段見ている自然な立体空間を感じることが出来るんだ。
これが片目をつむると写真が立体的に見える原理じゃないかなっておれは考えてみたんだよ。
随分と書いてしまったね。いや、こんなことは今までにもいろんな人が言っていることだとは思うんだ。
でも写真が立体的に見えるということよりもむしろなんでそう見えるのかってことをあれこれ考えるのが
楽しかったんだよ。だからそれをここに少し書いてみたかったってわけ。
2006年8月4日記す